Tomomama’s blog

私が育児で役立った物事、将来子ども連れで楽しめるカフェを営みたいのでその勉強の数々を載せています。

子育て四訓 

子育て四訓

1.乳児はしっかり肌を離すな
2.幼児は肌を離せ手を離すな
3.少年は手を離せ目を離すな
4.青年は目を離せ心を離すな

私がまだ保育士をしている頃、保育士の研修報告で上記の「子育て四訓」を紹介された時に思ったこと。

あ、これだわ。


私的に、「子育て」は手元も見えないくらいの霧というか、
「何が正解なのかわからない。」
「マニュアルを誰か作ってくれー!」
「せめて、せめて指針だけでも!!」
って叫びたくなることが多い。

そのような状態の中に出会った「子育て四訓」


わかりやすい。
しっくりくる。
過保護でも過干渉でもなく、無関心でもネグレクトでもない。


私的「子育て四訓」の解釈。

1.乳児はしっかり肌を離すな
おっぱいが必要な時期。赤ちゃん。
危険なことが起こらないように。いつでも守れるように、安心をたくさんあげられるように、肌から離さないで過ごす。
守る人が(母・父・祖父母・保育者等)ぴたーっとくっつく。

2.幼児は肌を離せ手を離すな
自分で色々したいと思う時期。保育園児・幼稚園児のイメージ。
ずーっと大人が「肌から離さない!」とくっついていたら、手取り足取り教えまくって自分自身の世界から離さなければ、新しい世界など見えてこない。でも、まだまだ危険かそうでないかなどの判断はつかないのだから、何か起ころうとした時に防げるよう、手は離さないで見守る。手を少し離すことがあっても、手の届く範囲にいるようにする。
「いいよいいよ、とりあえず何でもやってみな!成功しても失敗してもそれは自分の力になるのだから♪」と、とりあえずさせてみる。
ちょっと離れる。でも、すぐにつながる。


3.少年は手を離せ目を離すな
小学生のイメージ。
1年生から6年生と考えると差がとーってもあるけど、善悪の判断や危険か安全かの判断はつくようになってきているはず。
手を離して自主的に動くことを見守りながらも、何か起こったときにすぐ駆けつけられるように目を離さない。
一人で登下校とか、おつかいとか、友達の家に一人で遊びに行くとか。そんなシーンが出てくると思うから、手をずーっとつないだままじゃやっていけないよね。ただし「ずっと後ろからついて行って目を離さない」というのも、それはそれで怖い光景だと思うのですよ・・・。その子の状態をみてどうするのか決めた方が良いのかな。
離れる。ただし見守るのは忘れない。


4.青年は目を離せ心を離すな
中学生以上から大人のイメージ。
もう善悪も含めて判断できるし、立派に自分の考えで行動できる。だから信用して目を離す。ただし何か起こって「Help!!」ってなったときに寄り添えるように、いつも気に掛ける。
気に掛けるけど、自分の方からくっついていったりはしない。助けが必要な時は我が子が求めてくるはず。その助けも「その子なりの判断を尊重して自身でどうにかできるように」のサポートになるのではないかな。「困っているんだけど、どうしたらいいの?」と言われた時に「こうしたら良いんだよ!」って大人の中にある正解をポンっと出すのではなく「どうしたら良いのだと、あなたは考えているのかな?」って引き出す感じ。寄り添ってはいるのよ。でも、答えはもう自分で出せる力を持っているのだと信じて、見守る感じ・・・?

 

ではでは、いつまでも離さなかったらどうなるのか。

大人になっても 肌を離さない。
→肌をくっつけていた対象が何もかも正しくて、依存が強い人になると思う。また、自分で判断しなくてもやってこれるのだから、甘えた大人になるのではないかな?依存していた方が様々な理由でいなくなってしまった時に大変なことになると思う。


大人になっても 手を離さない。
→手をつないでいた対象から教えてもらわないと、何もできない大人になりそう。一人で行動とか、出来ないのだろうなぁ。

大人になっても 目を離さない。
→ずっと自信を持って行動出来なさそう。誰かに注意してもらえる・かばってもらえることを前提で動くのではないかと思う。「自分で責任を負う」なんて出来なくなるのではないかな。

 


おそらく、その場その場で解釈も変わっていくのだと思うのだけれど。
折に触れて、我が子の対応に迷ったら子育て四訓を考えてみてはいかがでしょうか。